「ちょこっと京都に住んでみた。」(ギャラクシー賞奨励賞、ATP上方番組大賞 グランプリ)、「名建築で昼食を」(日本民間放送連盟賞 優秀賞)、「À Table!」(ATP賞テレビグランプリ 奨励賞)、「京都のお引越し」(東京ドラマアウォード ローカル・ドラマ賞)、「マニアさんと歩く関西」などの良質なドラマを作り続けるプロデューサー・清水啓太郎さんと監督・吉見拓真さんに、ドラマ制作の秘密を聞く超ロングインタビューの後編。いよいよ、二人のドラマ作りのスタートから現在に至るまでの核心に迫ります!!(第2回目/2回)
すべての企画は「好き」から始まる。プロトタイプは「廃墟の休日」
――ここからは後編として、お二人のドラマ作りの歩みを振り返りながら、さまざまなお話を伺います!
吉見「前編の話を通して感じてもらえたかもしれませんが、基本、すべての企画は清水さんが頭の中で考えたものなんです。それを原型として見る人々の年齢層などをいろいろ加味して、一つの企画の形に肉付けされていく。その一番ベースにあるのは、これ面白いんじゃないか、俺はこれに興味があるぞ、という、非常にプライベートな興味。それをいかに正直に、嘘をつかずにやるか、いかにドラマ的に物語るか、ということを、清水さんが考えてると思う。だから、そこに時間だとか、パラレルワールドだとか、物理のちょっと面白いお話、日常生活では絶対に経験できないけど物理の世界では当たり前とされている変なことを盛り込んでいる理由がそこにある。僕はそう思ってる。撮っていて思うんですけど、ドラマ的要素ではないものが、たくさん散りばめられているんですよね。それらが上手く一本の作品として流れているのは、ひとえに清水さんの興味があるからです(笑)」
――なるほど!どんな企画も「好き」「面白い」が出発点なんですね。お二人が携わった作品をさかのぼると、2015年の「廃墟の休日」(テレビ東京)が、エチュード×ドキュメンタリーという飾り文句が付いていまして、このあたりがプロトタイプのような存在なのではと。
清水「それはあるかも。『廃墟の休日』は深夜0 時台の放送でした。ゴールデンタイムと違って、人と時間とお金が大きく制限される中で、どうやって作ろうかという話で」
吉見「最初の発想としては、今年逝去されたのですが、NHKの監督の方で、佐々木昭一郎さんという、1970~80年代に特に活躍された方がいらして。佐々木さんが長回しでしかも演技経験のない人を使う方でした。エミー賞をとった『四季 ユートピアノ』とか、たくさん良い作品があって、それらを10代のころに見て、めちゃめちゃ好きになった。その記憶がずっと残っていたんです」
――それらの作品がヒントになったと。
清水「カットを割っていたら、物理的にこの分量(30分枠)は到底撮れないんですよ。ライトも都度直すし、カット割りで一つのシーンを何回も撮る。でも予算、人とお金が限られている」
吉見「最初は割れるもんなら割らせてくれと思っていたけど、いつの間にかこのスタイルが確立しました。『廃墟~』だけでなく、『ちょこっと京都~』もそうですけど、厳しい制作条件というのは、具体的に言えばスケジュールとして表れるんですね。短い時間の中で、どうやったらこれをクリアできるか。なおかつ、前編で言いましたけど、台本自体が普通の台本からは逸脱しているというか、親切ではない台本(笑)。ドキュメント的な部分などは状況だけ書いてあって、あとは丸投げにしてあったり。それをどないして撮るのか、最初の時点で誰も分かっていないわけですよ」
”優しくない”台本に対して編み出した”カット割りを忘れる”撮影手法
――たしかに、今回「~ノスタルジックな休日~」の台本を拝見しましたが、料理を作るシーンで書いてあるのは調理の手順がメイン。食事のシーンのセリフも「(それぞれたべて感想を)」と。演じる側に託している幅がかなり大きいという印象でした。
清水「僕や横幕さんの中にはあるんですけど、そこを言っちゃうと具体になるから、あまり多くを書かないし、言わない。無論、話の流れの会話は書いていますが。そうしたら思っていたものを全然、俳優さんも監督も超えてくる。すごいなと思うわけです」
吉見「でも方法論としてとしての形が必要なわけじゃないですか」
清水「うん。そこは任せる」
吉見「ほら、これで『苦しめばいい』の応酬になるわけですよ(笑)。いや本当に分からへん。でも分からへんなりに、このドラマの中で、清水さんが興味を持ったことに僕が連れ込まれた状態でできることといったら、僕も興味を持ったものを追いかけることしかないと思ったわけなんです。だからカメラも手持ちにして、いかなる状況においても、どこへでもカメラがいけるようにして、想定したカット割りのことは忘れる、ということをやり始めました。今にして思うと、『廃墟~』からですね。それが方法論としてうまくいっちゃったというか面白いなと思ったので、今までずっと、若干違いはあるにしても、ベーシックにあるのはそういうことです」
清水「『廃墟の休日』も自分が廃墟が好きだからです。自分が見たいなと思って、怖いじゃなくて美しい、綺麗だなと。廃墟美というんでしょうか。2話で訪れた端島(軍艦島)は、ちょうどいまドラマでも舞台に使われて注目を集めていますし、神戸の摩耶観光ホテルとか、当時、撮影許可をもらって中に入れたのも、貴重かもしれません」
吉見「その辺の美しさに対する感性みたいなものは、僕と清水さんは近しいものがあるんちゃうかなと思う」
「ちょこっと京都~」「名建築~」作品を重ねて確立した、美しいものを正対して撮る”シンメトリ”な構図
清水「次の『ちょこっと京都~』の企画も、いろんなところでお話ししたんですけど、当時、皆さんから意味が分からないって言われて。京都の観光地に行かなくて、誰が見るの?と。テレビ大阪のプロデューサー・岡本宏毅さんだけが「これ、なんか面白そうですね」って、僕らがやろうとしてることを理解してくれて。それで初めて年末でやりましょうかと」
――2年前に掲載した岡本さんのインタビューで、「ちょこっと京都~」や「名建築~」が生まれた経緯として、テレビ大阪としても、ドラマ制作は後発で予算の制限もあって、ちょっとバラエティー的な、出演者が即興芝居をするドラマ番組があって、そういう流れの延長線上にはまると思った企画だったというようなお話がありました。テレビ大阪さんにも「ちょこっと京都~」の企画を理解しやすい文脈があったっていうことかと。
吉見「我々の作品はアドリブではないんですけどもね」
――ですね。先ほどおっしゃったような、役者さんが役をすごく考えたうえで演じているという意味で、アドリブではなく「芝居」ですね。
清水「おっしゃる通り!」
――「ちょこっと京都~」に出てくる老舗のお店なんかは、テレビに出たことでお客さんが増えたとか、ありそうですね。
清水「中国とか台湾で作品がすごく人気で。今でも日本の方だけでなくて中国、台湾のお客さんも多いって言われます。5年前のドラマなのに、お店に来ていただけるって言われるから、嬉しい。なにより長く愛してもらえる作品になったことが本当に嬉しい」
――次の「名建築~」はどのような流れで決まったのでしょうか。
清水「『名建築~』の企画を提案したら、すでにテイストのイメージはついているから、じゃあ建築でやりましょう、という話に進みました。僕は大学が京都だったので、学生の頃からそういう歴史ある建築とか、古い喫茶店に行ったりとか、あの頃からすごく好きだったから。『名建築~』は自分の趣味から始まったものですね」
――「名建築~」といえば伺いたかったんですが、建物の中でも、特に階段が美しく映っていて。手すりの曲線の美しさとか。ああいうカットは、何回も角度を変えたりして撮るんですか?
吉見「さっきの話と同様、時間は潤沢にあるわけではないので、これは面白いって思ったときにどないして撮るかは、その一瞬一瞬で考えています。同じものを見ても、どこをフィーチャーするかは人によって違うと思うので、何が正解かは分からへんけど、その瞬間の一番エエなと思ったものを撮る。美しいものは正対した方がいいと、僕らは思っています」
――正対!まっすぐに撮るんですね。
吉見「角度をつけたほうが立体的になるから、ついヒネりたくなるんですけど、そこはヒネらない」
清水「シンメトリーっていうのは、お互い『好き』が一緒ですね。僕はいつも『シンメ、シンメ』って言ってるし」
――そこはすごい特徴的だなと思っていました!
吉見「それも別に、最初からシンメトリーじゃなきゃあかんと思ったわけじゃなくて、撮っているときに、これは気持ちいい、この撮り方がいいなっていうのをだんだん見つけていった感じです。正面がいいっていうのは、情報が少ないからやと思います。斜めに見ると面が3つになるけど、真正面から見ると平面になりますよね(編集部注:立方体の物を壁の前に置いて、斜めから見てみてください)。情報量が少なくなるんですよ。だから見せたいものだけがすごく際立つ」
少数精鋭だからこそ出来上がった”互いに助け合うチーム”
――一方、土手を歩くシーンなどは奥に抜けていますね。それも綺麗だなと思いながらいつも見ています。
吉見「土手なんかも、交通量を見計らって、コース的にいろいろ工夫して奥はボケてるから抜けは大丈夫かなと確認しながら撮っています。たいがい土手に行くときはスケジュール上、先にほかの場所を撮ってから夕方に行くことが多い。土手は撮影条件的に、時間制限があんまりないので。夕方って光が綺麗ですし。でもこの光も1分2分で変わるので、一発勝負。みんな遠くに離れてもらって。例によって3人かスチールの廣田さんと大体4人だけ。多分、現場で見たら何してんのか分わからんと思います。なんかやったはるわみたいな」
清水「撮る分量がめちゃくちゃ多いから。特番のときの『ちょこっと京都~』が一番大変でした。スタッフが10人ちょっとくらいしかいなかったんじゃないかな。僕がカチンコ打ったり、小道具やら制作部的なこともいろいろと」
吉見「撮影は冬場の今ぐらいの季節で、日が短くて午後3時でもう撮れなくなるから、文字通りの意味で走りながら撮ってました」
清水「眼吊り上がって(笑)」
――それは…大変でしたね。
清水「でも、あそこまでの少人数だと、普段なら場所が狭くてあきらめるようなロケ場所でもトライできるんですよね。そこがすごく自由だし、皆さん優しいから互いに助け合うっていう現場でした。照明の土山(正人)さんなんか、山田洋次組の照明技師さんですから。普段はたくさんの助手さんに囲まれてるのに、あの時は土山さん一人だし…。いや、申し訳なかった…」
――映画のスタッフさんが多いんですね。いい意味でドラマっぽくないというのはそのあたりにもありそうですね。
吉見「中身もそうですし、作っている僕たちの体制自体も、全然そうとちゃうから」
感情を付けない音楽、国や時代を混ぜる美術
――一連の音楽をずっと担当されているベンジャミン・べドゥサックさんについてもお伺いしたいです。
清水「ベンジャミンはフランス在住なんですけれども、一時期日本にいて、そのときに紹介してもらったんです。自分のべースがフランスの60年代のテイストなので、その頃の映画音楽をつくっていたフランソワ・ド・ルーベのイメージとか、こんな感じみたいな話をいろいろとして。たとえば、演歌は日本人のソウルがないとうまくいかないと感じるし、ああいう音楽はフランス人の感覚があるからいい感じになるような気がする。素晴らしい曲です」
――分かるような気がします。
清水「DNAみたいなものがあるんでしょうね。最初の頃はお互いに相当ディスカッションして、ああでもないこうでもないって話をしながらやりました。今はもうベースを共有できているので、リモートでのやり取りで全然問題なく。こんな感じの、こんなイメージでっていう話をして作ってもらっています。彼は音楽大学を出ていて、オーケストラのスコアが書けるし、音楽理論がちゃんと分かっているから、どんなジャンルの曲も、きっちり作ってくれます」
――きちんと学ばれている方なんですね。
清水「監督もよく言うんですけど、音楽に感情をつけないで、と伝えます。かわいそうなとか、楽しいとか。なぜなら、悲しいときに悲しい音楽を付けるのが嫌いなんですよ。さあ泣いてくださいみたいな。だからどっちの感情にも付く音楽を求めます。あとは森と木のイメージとか。基本、アンビエント(環境音楽的)な曲が多いですね。口笛はやっぱり、フランソワ・ド・ルーベが好きだから。60年代当時の、フォークな口笛の感じはどうだろう?とかって話をしたり」
――音楽に感情をつけないというお話は興味深いです。
吉見「説明になっちゃうからですね。音楽に関しては全て清水さんに一任して、清水さんと作曲家のベンジャミンで完結して出てきたものを使わせてもらっています。でも編集で音楽をつけると、そのつけ方の違いっていうか、どの音楽を選んでどこにどうつけるかっていう点は、違いがある」
清水「お互いに」
吉見「その時に『これはないかな』と思っても、やってみたら面白いなっていうことがあります」
清水「逆もまたしかりで」
吉見「皆さんが、音楽が良いって言ってくれる理由は、ドラマに乗りすぎずに、でも寄り添っているっていうことなんちゃうかなと」
清水「つまり、みんな役割が決まってない」
吉見「いや役割はあるけど、それぞれが自分の役割にとどまらない。こういう話をすると、おっさんの昔語りみたいで嫌ですけど、それなりに揉まれてきて、体を使って手を使って体力使って頭使ってやらなあかんくて、自分の役割だけやって、後は放っておけば自分がやらなくてもいいようなことは誰かがやってくれる、っていう環境では育ってこなかったので、やれることをやるっていう、それだけのことなんです。それはもう清水さんが先頭に立って実践してはるから。そういう発想が大きく反映しているのかもしれないですね」
――美術についてもお伺いしたく。
清水「家具の話でいうと、古い日本の家具と、李朝、北欧、インドネシアといろんな時代や国を混ぜても、相性が良くて実はあんまり違和感ないんですよね」
――そうなんですか!
清水「ジュンとヨシヲの家は、それらを混ぜておいています。物は長い付き合いの京都のお店からレンタルで借りてきたり、京都で買ったり集めたり。アンティークの置物は『ちょこっと京都~』に登場した骨董品店・画餅洞(わひんどう)さんのセンスに頼ってるところがありますね。京都って、やっぱりセンスがいいんです。コンパクトだから、どこに何があるか分かるし。あと、ヨーロッパから来てる人も多いんじゃないかな。大学とか多いし。学術的な部分も含めて、触れる機会が多いのではと思います。家具とかお店とか、ものすごく感性が早い」
――地理的なものも含めて、街の成り立ちがそうさせるんですかね。
清水「京都は、個人で実験的に商売ができるので、本当にフラッとお店を作れちゃう」
――「京都のお引越し」に出てきたトピックですね。
清水「そうそう。個人のやりたいことが商売として成り立つっていうのはすごいですよね。Dialogueさんとかもお店の方の審美眼とかすごいと思っちゃう」
――俊也(正門良規)の従姉・佐紀(蓮佛美沙子)が経営しているお店として登場しましたね。買うお客様もいるからこそ成り立つわけですよね。
清水「はい、そういう住宅地にひっそりあるお店とか、シナハンしていて飽きないですね。お店の人に「本当に自転車で廻ってるんですね」と言われます。撮影でお借りしたお家やお店は、有難いことに、いまだに仲が良くさせてもらっています」
――ちゃんと繋がっているんですね。
清水「もう本当そういう全部身近なところで」
吉見「半径3メートルの話に戻ってくる」
小さなレコードレーベルのようなチームで、個人書店のような品揃えを
――ここまでお話を伺ってきて、最初に清水さんの「好き」から始まる企画のタネがあって、それが放送局に提案して番組になる過程で、ターゲットやらリクエストやらに合わせて整理されて番組内容に落とし込まれていき、そしてそれが吉見さん横幕さんはじめ番組を作る名工たちの手に委ねられていく。そういう一連の流れが見えてきたように思います。
清水「私の母方の実家が、主に茶道具中心の古美術品を扱う家で、子どもの頃からずっと道具を見させられてたんです。それこそ、景徳鎮だの李朝だのと。『今、何も分からない頃に見ておかないと駄目だ』というのが祖父の教えでした。意識があってから見始めるのでは駄目、今この時から見ておかなきゃいけないんだ、と言われたのをよく覚えています。宋の何とかだ、明の何やらだ、と。その頃は歴史的なことは分からないんですよね。のちに歴史の授業で初めて、この時代のものだったのか、と知ることが多かったです。それは良かったなと」
――「~ノスタルジック~」の8話、ジュンと浩子叔母さんの会話の場面に通じますね。
清水「素読の話ですね。『子曰く』っていうのばっかり覚えさせられるという話」
――そういう、何十年か経って、あの時のあれはこういうことだったんだ、っていうこと、確かにありますよね。
吉見「全ての芸術は模倣から始まるっていうから、それのストックがあるかないかは、やっぱり関係するんとちゃうんでしょうか。僕が今撮っているショットって、あの映画のあのシーンの感じやなとか思ったりすることありますもんね。30年以上、記憶の中で眠っていたものが蘇る」
清水「以前、週末は京都に住んで、平日は東京にいる、という生活をずっとしていたんです。昔からある町家に住んで。散歩が好きなんだけど、目的があるともっと楽しめるので、自分で豆腐研究とか七味研究だとか言って、いろんな店に行っては、この味はあっちだな、こっちだなと、「マニアさんと歩く関西」で詩織(夏帆)のセリフになっているんですけど、そうやって自分の中で立体的に作っていました。
――「座標軸を作って点を打っていくと立体的になる。知らない街も一緒だよ」という話ですね! すごくよく分かります。
清水「そうです。X軸、Y軸、Z軸まであると立体的になる。だからドラマが、自分の研究発表の場みたいな感じです(笑)」
吉見「なんかそういう生活の楽しみ方っていうのは、普通とは違う実体験をしているから。そのままストレートに出ているんちゃうかな」
――同じスタッフさんのチームで毎回制作されているのは、ここまでお話を伺ってきたお二人のドラマの作り方に共鳴する人が徐々に集まってという流れなのでしょうか。
清水「ずっと同じチームの方々ですね。各局でドラマを作って、これだけ同じチームというのは多分珍しいと思うんです。どう言えばいいんだろう。だから、誰か一人が立つとかではなくて、チームとして形になるというか、アーティストじゃなくてドメスティックなレコードレーベルみたいな感じのイメージは最初にはありましたね。それはなるべく変わらないように、と」
――最初からあったんですね。
清水「はい。やっぱり他とは違うところで作っていきたいというか、本屋さんで言うと、総合的な書店というより、セレクトされた個人の書店ぐらいのイメージですね。でも僕らが毎回作るものを、視聴者の方々がちゃんと見に来てくれるような、この店ならではの本だと分かるようなものにしたいとは思っています」
――作っていくものを貫くテーマというものはあるのでしょうか?
清水「どうなんでしょう、やっぱり、俺が見たいなって思うものですかね。昔、『自分がやりたい、面白いって思うこと以外は、多分やってもうまくいかないよ』って、先輩のプロデューサーから言われたんです。自分が面白いと思わずにやったら、面白いものは絶対できない。そこは抵抗してでも、周りが何と言おうと貫いたほうがいいって。だから今若いプロデューサーの方で頑張って自分の好きな企画を通して作ってるなっていう作品は本当に伝わるし、観ていてワクワクする。一人で勝手に応援している。だいたい企画って10人ぐらいいたときに、自分ともう1人熱狂的に面白いっていう人がいれば、大体うまくいくと。10人が全員面白いねって言ったら絶対面白くない、と。だから、自分が面白いと思うものから作った企画を受け入れてくれる放送局さんには感謝しかないですね」
刺激的な事件よりも、身近な出来事。見た人が優しい気持ちになる物語を
――自分がやりたい、面白い、が出発点なんですね!
清水「身近な話って、ドラマになるんですよね。例えば、(『~ノスタルジックな休日~』で出てくる)飛行機の揚力の話も、ロケハンで監督と二人で話していて、『飛行機って何で飛ぶか知ってる?』って言われて『え、浮力?』って言ったら『はあー?浮力って(笑)』という会話があって。腹立つなあと(笑)。そういう身近なところがそのまんまドラマになってる気がする」
――出てくるエピソードが、全てドラマになっているのは本当にすごいです(笑)
清水「この展開で、このシーンを入れて、これが実は後で効いてくるとか。構成や伏線のテクニックとかは、横幕さんも僕も今までにあれこれやってきたんです。だから今も一応、考えてはいるんだけど、その段取りが見えないように、2回見ないと分からないように壁に塗り込んでいくっていう作業は、ちょっとだけ意識してるかな。要は、起きたことを段取りとして構成するとつまらなくなるような気がするんですね。起きる事象より、人の細かい機微や相手への慮りや、言葉と裏腹の相手への気遣いみたいなことが後々分かるみたいなことが伝わるといいなと。どぎついことや派手な展開とかではなくて。やっぱり嬉しいのは、『ドラマを見て優しい気持になりました』とか、そう言っていただけるのが一番報われますし、それを目指しています」
吉見「僕はそっちのほうが好きです、どんな内容であれ。あとは清水さんは、なくなっていくもの、消えていくものが好きですよね」
清水「なくなっていくものは好きですね。やっぱり残しておかないと、記録しておかないと、本当になくなっちゃうので。古いビルとかも今、どんどんなくなっていますし」
――「マニアさんと歩く関西」の世界ですね。
清水「今、(東京の)京橋とかを歩くと、高度経済成長のころの勢いのあるビルというんでしょうか、普通のビルでも装飾が凝っていて、すごくいいビルがたくさんあったのが、どんどんなくなっていますから」
吉見「そう、なくなっていくっていう意識がある。これはメメント・モリなんです。撮りながら自分で、『死を思え』と感じる。この瞬間はもう失われているんじゃないかって。そう思うときがあるから、見ていたくてカットが掛けられない。カットを掛けるのは監督の特権ですから。ほかに唯一言えるのは役者さんだけ」
清水「早くカット掛けてー!もうおしまい!とか言われて(笑)」
吉見「ノスタルジーとはまた違うけど、確実になくなっていくもんですね」
”ドキュメンタリー的手法”の本当
――最後に、「ドラマ×ドキュメンタリー」という言葉が、これまでお二人の一連の作品群についてつけられています。「ちょこっと京都~」での、木村文乃さん演じる佳奈と、おつかい先の店主さんとの会話がこのイメージを決定づけたように思います。登場する店主はすべて実際の店主さんなのに、とても上手にお話ししているように見える。そのドキュメンタリー部分の秘密を聞かせていただけますでしょうか。
清水「最初は、周りの人に役者さんではない人を出して大丈夫なのかとすごく心配されたんですけど、監督は『大丈夫大丈夫』と。撮影前に、監督がお店に何度も通うんです。お店の方と仲良くなって、いろんな話を聞き出す。そうすると、本番でも監督が横にいるし、皆さん緊張しないんですよね。役者さんではないから、自分とは違う人物、役をやれって言われたら難しい。でも、自分のやってきたことは喋れる。自分の持っている世界とか美意識を説明してと言われたら、普通の感じで話してくれるんですよ」
吉見「こんなことします、という説明はもちろんします。でも、ご自分の仕事に関するお話に関しては、ドラマだからこんなふうにしてほしい、ということは一切言わない。いつも通りに話していただくことで、十分ドラマティックになっていくし不思議なことが起こるんです」
――画餅洞さんとの会話は特に印象的でした。
吉見「あの時は、店主さんに台本を読んでもらってましたけども、それ以上は、こんな話をしてほしい、というようなことは一切僕は言いませんでした。でも、彼なりにその意図を含んで理解したことが、なぜかしら、話の流れからひょうっと出てくるんですよ。しかもそれが核心を突いている。あんたリンゴ打ち抜いてるやん!ぐらいの、ドラマの中枢にあるドラマティックな内容を射貫いていた。こっちは撮りながらびっくりしたわけです。すごいこと言うな、と。会話の場面だから、相手の木村文乃さんも、その話をもちろん聞いていて、当然、彼が言ったことに対して反応する。それは、ドキュメントではなく、ドラマ的空間なんです。そういうことってたくさんある」
清水「木村さんも即座に反応して佳奈の心象を演じられて。とても心に残るシーンになったよね。横で見ていてすごいって思ったもの…」
吉見「木村さんは、本当に深く佳奈の心情を理解していて。そういうことが役者さん同士の会話でも出てくる。『ちょこっと京都~』で僕はそのことを実感しました。それは先ほど触れた佐々木昭一郎さんの作品を見ていて、そう思ったっていうのはあるんです。だからびっくりしますよね」
――「傷ついたところが見どころになる、直しをするのもいい、直さなくてもそれもいい」というくだりですね。
清水「あの部分は実は、画餅洞さんにだけ『ちょっと台本読んで』と言ってお願いしてたんです。ほかのお店の方には読んでもらってないんですけど。だけど、あの瞬間『えっ』て。すごく考えてきてる、(言葉を)忍ばせてきてる!って」
吉見「台本の中には、その傷ついたお皿のこと自体は書いてあるんです。で、現場にそれがある。でもそのお皿に話題が及んだときにどうなるんかっていうところまでは、台本に書かれていない。そういうセリフのことも書かれてないですけど、皆さん意味を汲み取って、その方向に神経や意識を働かせて、自分の言葉で喋る。というふうになっているから、そもそもドキュメンタリーとは思っていないんです。だから、ドキュメンタリー×ドラマという言葉は、後から付けられたものだと思っています。そのネーミングが違うと目鯨立てるつもりは全くないんですけど、ドキュメンタリー風に見えても、本当はそうじゃないなっていうことですね」
――前半の、ジュンとヨシヲの芝居のお話とも通じると思うのですが、台本に書いていないところで、その場で生まれるやり取りであっても、演じる方々が、台本やキャラクターを理解したうえで喋って会話することだから、ドキュメンタリーやアドリブではなくて、それもまた芝居である、ということですね。よく理解できました!
清水「セリフ以外のこともキャラクターを入れ込んで考えて演じているので、『セリフ入れてやるより大変』って言われます。だからそれは『素』とか、『アドリブ』みたいなものではないと思います。やっぱり俳優さんってすごいです」
吉見「基本的に『ちょこっと京都~』以降はずっとそうですね。ある意味、清水さんはリアルな京都のおじさんやから、この人を含めて、一般の人も巻き込んで作ったものですよ、と(笑)」
清水「こういうおじさんいるよね(笑)」
――今日は本当に長い時間ありがとうございました!
■エピソード
「吉見さんの推しドラマ」
インタビューでもお話しした佐々木昭一郎さんの「四季 ユートピアノ」(1980年/NHK)。10代のころに見て、いいなあと思いました。もうひとつが「前略おふくろ様」(’75~’76年/日本テレビ)。オニオングラタンスープが出てくるんです。萩原健一演じる主人公が、田舎のお母さんを東京に呼んで、何が食べたいかって聞くと、「死ぬまでに一回オニオングラタンスープが食べたい」と。それで洋食レストランに行って食べるシーンがあるんです。なぜかそこをすごく覚えていて、オニオングラタンスープっていう言葉を聞くたびに、そのシーンを思い出すんです(笑)。
「清水さんの推しドラマ」
最近は「団地のふたり」(NHK)が面白かったですね。毎週楽しみにするって、こういうことなのかって久々に思いました。あとは向田邦子さんの作品が好きでした。「あ・うん」(’80年/NHK)、「冬の運動会」(’77年/TBS)、あとは今度是枝監督が撮る「阿修羅のごとく」(’79年、’80年/NHK)とか。子どものころって、分からないけど分かるんです。なんとなく。細かくは分からないけど、子どもなりに胸がぎゅっとする。大人になってもう一度見ると初めて、ああこういうことだったのか、と分かるんだけど、子どものころのぎゅっとした感情は残っていて思い出すというか。勉強にもなりましたね。
あと思いだしました!ドラマを作る時は、ベースになるオマージュが時々あるんです。「京都のお引越し」は実は「俺たちの旅」(’75年/日本テレビ)で、「ちょこっと京都~」は映画「地下鉄のザジ」(’60年/フランス)、「名建築で昼食を 横浜編」は「ある日どこかで」というクリストファー・リーヴ主演の映画(’80年/アメリカ)。そして「ちょこっと京都~」の連ドラ編は、「冒険者たち」(’67年/フランス・イタリア)。バイクの修理をやっている小山さん役の古舘(寛治)さんがリノ・ヴァンチュラで、アラン・ドロンのほうは、飛行機乗りをデザイナーに変え吉田さん役の玉置(玲央)さんで。良かったら、見てみてください。
「À Table!」は、僕が大学生の頃、京都の日仏会館で日本では有名でない昔のフランス映画を上映していてよく観ていたんですね。その映画の多くは、なんでもない夫婦の機微や小さなすれ違いを描いていて。映画のタイトルも出てこないけど。それが当時の風景やインテリアと一緒になんだか記憶に残っていて、それがベースになったような気がします。
清水啓太郎プロデュース、吉見拓真監督ドラマ
「廃墟の休日」(テレビ東京)
2015年7月10日~9月25日 テレビ東京にて放送
俳優とクリエイター仲間がドキュメンタリー映画を撮るという名目で、廃墟に詳しい謎の人物ジョン・Tの誘いで、日本や世界各地の廃墟を旅する。2話、3話で訪れる軍艦島(端島)、中ノ島は、現在放送中のドラマ「海に眠るダイヤモンド」(TBS)の舞台になっている。その実際の廃墟を生々しく撮った映像は貴重。
出演:安田顕 野口照夫 田辺誠一 スミマサノリ 生瀬勝久 吉田照幸
※「廃墟の休日」Blu-ray&DVD BOX 好評発売中
発売元:「廃墟の休日」製作委員会
販売元:よしもとアール・アンド・シー
「ちょこっと京都に住んでみた。」シリーズ(テレビ大阪)
スぺシャルドラマ 2019年12月29日 放送
連続ドラマ 2022年7月6日~8月10日 放送
“観光地に一切行かない京都案内”“住んでいる人しか知らない京都”をドキュメンタリーテイストを盛り込みながらお届けするドラマ。けがをした大叔父の世話をするためしばらく京都へ滞在することになった主人公が、住んで初めて知る京都の様々な場所や人と出会い、心がほぐれていく。
出演:木村文乃 近藤正臣 ほか
※Amazon Prime Video、U-NEXT、FOD、Hulu、Rakuten TV、Lemino にて配信中
「名建築で昼食を」シリーズ(テレビ大阪)
連続ドラマ1(東京編) 2020年8月15日~10月16日 放送
SPドラマ 「横浜編 」 2021年1月23日 放送
連続ドラマ2 「大阪編」 2022年8月17日~9月21日 放送
仕事に恋に悩み多きOLが、「乙女建築」巡りを趣味とする中年建築模型士と出会い、各地の名建築を巡りながら、成長していく。名建築を巡るシーンでの二人の芝居にも注目。
出演:池田エライザ 田口トモロヲ ほか
※Amazon Prime Video、U-NEXT、FOD、Hulu、Lemino にて配信中
「À Table!」シリーズ(BS松竹東急)
シーズン1「~歴史のレシピを作ってたべる~」 2023年1月9日~3月27日 放送
シーズン2「~ノスタルジックな休日~」 2024年7月3日~9月25日 放送
東京・吉祥寺に住む夫婦が、歴史上の人物が食べたご飯や、日本の懐かしいレシピを紐解いて料理する姿を通して、長い時間をかけて人々が大切にしてきたものを感じるドラマ。台本にセリフが載っていない“料理シーン”の二人の芝居は見どころ。
出演:市川実日子 中島歩 ほか
※シーズン1がAmazon Prime Video、U-NEXT、FOD、Hulu、Rakuten TV、Lemino (2025年1月8日配信終了)にて配信中
※シーズン2「~ノスタルジックな休日~」は下記サイトにて配信中!
U-NEXT,Lemino,Amazon Prime Video,Hulu,DMM TV (2024年12月20日(金)より配信開始)
「京都のお引越し」(ABCテレビ)
2023年12月29日 放送
美大出身、大阪で働く主人公・俊也は、従姉の佐紀に呼ばれて京都を訪れる。自由きままに生きる佐紀やその友人の奈緒と京都の個性的で洗練されたお店を巡ることで、自分を受け入れてくれる街と感じ、自分も京都に住もう、と考えるように。世界中から集めたボタンを扱うボタン専門店や、昭和の茶碗を置く陶器店など、京都ならではの実在のお店が登場。
出演:正門良規(Aぇ! group) 蓮佛美沙子 安藤玉恵 ほか
※2025年1月6日(月)午後11時59分までTVerにて配信中
「マニアさんと歩く関西」(NHK)
2024年9月26日 放送(関西地区)
転勤で大阪にやってきたものの、馴染めず悩んでいた主人公が、友人の紹介で大阪のビルや橋を愛する“マニアさん”と触れ合うことで、新しい街へ馴染んでいく自分の座標づくりを始める。マニアさんが、ビルや橋など古く失われていくものを愛し記録を残そうとする姿に心打たれるドラマ。今作は、吉見監督の助監督を務めてきた倉光哲司監督が担当。
出演:夏帆 朝倉あき ほか
※NHKオンデマンドにて配信中
■Profile
清水啓太郎(しみず・けいたろう)
1968年生まれ。岡山県出身。松竹撮影所企画部。テレビドラマのほか、多くの映画のプロデューサーを務める。主な作品は、「ミスター・ルーキー」(’02年)、「天国はまだ遠く」(’08年)、「焼肉ドラゴン」(’18年)、「お前の罪を自白しろ」(’23年)など。24年にアメリカで放送された真田広之主演「SHOGUN」ではコンサルタントを務めた。
吉見拓真(よしみ・たくま)
1965年3月20日生まれ。大阪府出身。ポン・ジュノ、ジョン・ウー、マーティン・スコセッシ等の海外監督作品や中島哲也・三池崇史等の国内監督作品に助監督として多数参加。監督作品は「たべるダケ」(’13年/テレビ東京)、「ちょこっと京都に住んでみた。」(’19年、’22年/テレビ大阪)、配信ドラマ「ネット興亡記」(’20年/Paravi)、「名建築で昼食を」シリーズ(’20年、’22年/テレビ大阪)、「À Table!」シリーズ(’23年、’24年/BS松竹東急)、「京都のお引越し」(’23年/ABCテレビ)。
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取材・文/三宅俊郎