「向田邦子賞」という賞があります。優れたテレビドラマを書いた脚本家に与えられる賞で、1983年の授賞が行われてから今年で満40年になります。第1回(1982年度)の受賞者は市川森一さん。第41回となる昨年度は「鎌倉殿の13人」で三谷幸喜さんが受賞しました。来年春には、第42回の受賞者が発表される予定です。
当時テレビドラマの脚本を対象にした賞はほとんどなく、それが40年続いているというのは世界的にもほとんど類を見ないでしょう。日本を代表するドラマ作家たちが受賞者に名を連ね、さらに多くの脚本家が受賞をきっかけに大きく羽ばたいています。まさにドラマ脚本家にとって最高の栄誉、それが向田邦子賞なのです。
さてそれでは、そんな向田邦子賞が名前を戴く向田邦子さんとはどんな方なのか、みなさん、ご存じでしょうか?
「もちろん!」という声が聞こえてきそうです。1980年には直木賞を受賞。エッセイの名手としても名高く、死後40年が経った今でも関連書籍が発売され続けている向田邦子さんは、日本の出版界でもトップクラスの人気作家です。
でも。
「TVガイドみんなドラマ」としては声を大にして言いたいのです。向田邦子は、作家、エッセイストである前に、まず第一にテレビドラマの脚本家なのです!
名作「あ・うん」をデジタルリマスター版で放送
世代を超えたファンも多い向田邦子さんですが、ファンの多くはまず本や活字で向田さんに触れたという方が多いはずです。確かにそれも無理はない。往年のテレビドラマを目にするチャンスは少ないですから。でもこの年末、NHKのBSプレミアム4Kが1980年の名作「あ・うん」をデジタルリマスター版で放送してくれますので、この機会にぜひ“ドラマ脚本家としての向田邦子”を再発見してほしいです。
向田邦子さんは、ラジオ番組「森繫の重役読本」の台本を書いたことをきっかけにテレビ界に進出、60~70年代からホームドラマを中心に多くのヒットドラマを手掛ける人気脚本家でした。「寺内貫太郎一家」(74~75年、TBS)や「だいこんの花」(70~77年、NET=現・テレビ朝日)が代表作でしたが、70年代半ばに乳がんを患ったことをきっかけに執筆活動のギアが一段上がります。エッセイとしての代表作となる「父の詫び状」の連載を始めたのが76年。これ以降、ドラマ脚本以外の仕事も精力的に手掛けるようになります。
そしてこのころからドラマの作風にも変化が生じます。「冬の運動会」(77年、TBS)や「家族熱」(78年、TBS)で描かれたのは、一見平穏に見える家庭がいびつに歪み、崩れ落ちていく姿。同時代の「岸辺のアルバム」(山田太一脚本、78年、TBS)や「夫婦」(橋田壽賀子脚本、78年、NHK)などとともに、シリアスホームドラマの潮流をリードしていきます。極めつけは「阿修羅のごとく」(79年、NHK)でしょう。四姉妹とその両親が織りなす虚々実々の心理描写はまさに圧倒的。特に、家族関係が揺らいでいく過程を、俯瞰ではなく姉妹それぞれの内なる目線でリアルに描く視点は、唯一無二の向田邦子ワールドです。NHKの名物ディレクター・和田勉演出とのコラボレーションも相まって、テレビ史上に残る衝撃的なホームドラマになりました。
「あ・うん」は、その「阿修羅のごとく」の「パートⅡ」に続く形で放送された、向田邦子の最高傑作のひとつ。舞台は戦前の昭和初期。平凡なサラリーマン・水田仙吉(フランキー堺)と戦友である工場経営者・門倉修造(杉浦直樹)の絆と友情を互いの家族関係とともに描く、非常に成熟した大人のドラマです(「あ・うん」とは神社の社殿に控える一対の狛犬のこと。“阿吽(あうん)の呼吸”の「あ・うん」ですね)。もともとNHKサイドがエッセイ「父の詫び状」をドラマ化したいと申し入れたところ、フィクションの形でならとドラマ化が実現したもので、物語は向田さん自身がモデルといわれる仙吉の娘・さと子(岸本加世子)の視点で語られます。
昭和初期の庶民を描いた向田邦子ドラマ、というイメージは、実は亡くなった後にご本人のエッセイや小説が多くドラマ化されたことによるものが大きく、存命中の作品、つまり向田邦子本人が脚本を手掛けた昭和初期が舞台のドラマはそんなに多くありません。この「あ・うん」はまさにその代表作。深町幸男さんがチーフを務めた演出陣のていねいな仕事も素晴らしいです。
「あ・うん」が放送中だったころと同時期に、向田さんは「別冊文芸春秋」に小説「あ・うん(第1部)」を発表。併せて「小説新潮」で、連作短編シリーズ「思い出トランプ」の連載を開始します。そしてこの連作短編で第83回(1980年上半期)の直木賞を受賞するのです。エッセイでは実績があったものの小説は雑誌での連載だけ。小説の単行本を一冊も出していない作家が候補になること自体大変珍しいことでしたから、これはまさに歴史に残る快挙といっていいでしょう。
そこから向田さんは直木賞作家として多くの小説やエッセイを執筆、同時に「蛇蝎のごとく」「隣りの女 現代西鶴物語」「続あ・うん」などのテレビドラマも手掛けるという、怒涛のような1年を過ごします。そして直木賞受賞から約1年後の81年8月、取材旅行中の台湾で航空機事故により命を落とします。享年51歳。あまりにも若く、あまりにも惜しまれる旅立ちでした。
向田邦子さんがそれまで誰も描いたことのないテレビドラマの領域に足を踏み入れてから、この時点でまだほんの数年。ほんの数年で、テレビドラマの歴史を揺るがすような名作がいくつも生まれたのです。もし向田さんが執筆をつづけていたら。この先どれだけ多くの名作ドラマが世に送り出されていたのか、想像するに難くありません。
あ・うん
NHK BSプレミアム4K 12/25(月)~28(木) 後1:00~1:45
キャスト
フランキー堺、杉浦直樹、吉村実子、岸田今日子、池波志乃、志村喬
スタッフ
脚本:向田邦子
演出:深町幸男(第1回、第3回、最終回)、渡辺丈太(第2回)